わたくし事ですが、先週の土日に佐渡ヶ島に行ってきました。片道6時間ほど掛かるので、1泊で行くのはなかなかのハードスケジュールなのですが、母の実家であり、行き慣れた土地なので、強行突破!してきました。
それほど大きくはない島なので、どこに立っても『前は海、後ろは山』です。人工的な手があまり加えられていない自然(それでも、私が子どもの時よりは、数倍も便利になっていますが)を満喫してきました。
こうして、昔ながらの環境に身を置いてみると、都会の便利さを痛感し、普段の生活がどれだけ恵まれているか、ということに感謝せずにはいられません。
半面、あまりにも便利さが進んでしまった為に、失ってしまったことがたくさんあることにも、気付きます。特に、子育てに関しては、思うことが多々ありました。
・・・ということで、今回は「なんで?どうして?を止めなければ、『○○心』が得られます!」と題して、お話をしていきます。
「なんで?」「どうして?」
これは、子ども達から発せられる声です。昔(私が幼稚園教諭だった頃)よりも、子ども達からの「なんで?」「どうして?」が、確実に減っている⤵と感じます。
「なんで期」と言われる時期、子育て真っ最中のお母様でも、思い当たる方が少ないのではないかと思います。
本当は、言葉が話せるようになり、ある程度の知恵や知識が入ると、見た物全てに興味を持ち、「これなぁに?」「どうして?」「なんでそうなったの?」と、事ある毎に質問する時期がやって来るはずです。大人が辟易するほど、はっきり言ってちょっとイラっとしてしまうほど、質問されます。
それが、以前は普通だったのですけどね。
最近は、2~3歳児に絵本を読んでいる時に、一定のお子様から「どうして?」「これはなぁに?」「なんで?」と聞かれるくらいです。
お教室で授業をしている時(5~6歳児)に聞かれることは、ほぼありません。「集団でお話を聞く時は、黙って聞き、質問がある時は後からにしましょう。」と約束をしているので、無理もありませんが・・・。
でも、「わからないことはありませんでしたか?」と、こちらから質問しても「ありません」と答えますので、
「それなら、これは何だかわかる?」「○○はどういう意味か言えますか?」と聞くと、「わかりません」と答えます。
●別にわからなくても良いと思っているのか?
●「わからない」という状況に気付いていないのか?
●知りたいという興味がないのか?
ちょっと残念に思う瞬間です。
どうして子ども達から、疑問や質問がなくなってしまったのでしょう?
「これが原因ではないか?」と思うのは、2つ。
1つ目は、冒頭でお話した「便利過ぎる世の中」の影響だと考えます。
テレビ、スマホ、パソコン等、子ども達の周りに情報発信ツールが多過ぎると思います。
特にテレビは、完全に一方的な受け身なので、興味を持つことはあっても、質問をする余地はありません。近くに「質問できる大人」が常にいて、テレビの内容について話せるのであれば、少しは良いのかと思いますが、そのようなシチュエーションは稀でしょう。
更に、スマホやパソコンは、お子様の「なんで?」に対して、カシャカシャ、ピッ!と大人が答えを見つけて、ただ渡すだけです。そうすると、「なんで?」の次の「どうして?」が無くなってしまうのです。
この便利な通信機器があることにより、失っているものは
*「質問を考えること」(これには「文章力」も含まれます)
*「どうして?」を考える機会
です。
それに加えて「どうしてだろう?○○だからじゃないかな?」という予測・予想をする楽しい機会も奪われました。ということは
*想像したり、空想する楽しみ
も失っていることになります。
そして、2つ目
これは昔からよくあることで、家庭環境によりますが、「なんで?」と聞いた時にきちんと答えてくれる大人がいないことです。または、すぐに正解を渡して、「はい、おしまい」にしてしまうことです。
特に「なんで期」は、とにかく「なんで」「なんで」と聞いてくるので、お母様が忙しい時や、静かにしなければならない場所でやられると、とても困ります。そのような状況が重なると、無視したり、「しー」と言って黙らせます。これを繰り返すと、子どもは、質問することを諦めます。同時に質問することは悪いことだと認識したり、質問すると怒られると思い込んでしまうこともあるでしょう。
それでも、稀に諦めずに「なんで?」をぶつけてくるお子様がいます。そういった子は、頭の回転が速いという印象があります。(甘えたいだけの「なんでちゃん、なんで君」を除く)
そして、時期が4歳~5歳と、若干遅めにやって来る気がします。丁度、集団でのルールを教えるような時期でもあるので、「今、おしゃべりしません。後で聞きますかね」と言わなければなりせんが、向こうもなかなか諦めず、自分の疑問に対して答えを見つけることに貪欲です(^^;
どのように育てたら、そういった「探求心旺盛」な子どもになるのでしょう。
それはやっぱり、周りにいる大人、特にお母様の関り方ですよね。
お子様の「なんで?」「どうして?」にきちんと向き合い、答えをすぐに与えず、一緒に答えを探しに行く。それから、テレビに子守をさせておらず、本好きに育てていることもポイントです。
これは極端な例ですが、お教室に通っていた卒業生(現在はたぶん5年生)のお子さんで、毎週、石垣島の絵日記を提出する子がいました。見る側としては、てっきり「毎週、描くなんて、よっぽど楽しかったのだろう」と、一回の旅行の経験を、何度も描いていると思っていたのです。しかし、よくよく聞いてみたら、毎週、本当に石垣島に行っていたそうで、面談時にそれをお母様から伺い、びっくりしました(笑)。
そのお宅は、テレビが壊れてから「別にテレビがなくてもいいかなぁ」と思って、それ以来テレビ無しの生活を送っていたそうです。最初に石垣島に行くことになったきっかけは、本で読んだウミガメのことを、お子様に聞かれたことでした。
もともと、よく質問をするお子様でしたので、お母様の対応も素晴らしいものでした。なぜなら、「じゃ、本物を観に行こう!」と、水族館ではなく、ウミガメと一緒に泳げる海に行ったのです。
石垣島でウミガメの研究所に行って、ウミガメの生態について調べ、それから、一緒に泳いだそうです。
また、島にいる間に、地元の方と交流し、珍しい鳥や虫の話を聞いたり、地元に伝わる星に纏わる逸話を聞き、また「なんで?」「どうして?」が始まり、「では次回、それについて調べに来よう!」と、繰り返し行く(通う)ことに繋がったとおっしゃっていました。
実際には、なかなか、出来ないですよね。でも、それぞれのご家庭でできる範囲で良いと思うのです。そんな風にお子様の疑問にできる限り、生の情報を提供し、経験させることで、いつまでもお子様の目をキラキラと輝かせることができます。
最後になりましたが、「なんで?」「どうして?」を止めなければ、得られる「○○心」は、次の3つの「心」です。
子どもから発せられる「なんで?」「どうして?」に真摯に向き合えば、
何に対しても遠慮せずに興味を持つ「好奇心」を持たせ、
更に知りたいと思う「探求心」を芽生えさせ、
より知識を得たいという「向上心」を育むことができます。
これって、自ら学び、学ぶことを楽しめる大人になる基本の「○○心」ですよね。
是非、お母様も一緒に「なんで?」「どうして?」を追求することを楽しんで欲しいと思います。もちろん、お父様も一緒にお願いします。